シレンシレンシレン!
風来のシレンSFCをプレイ。
トルネコの不思議のダンジョンに続く不思議ダンジョンシリーズ第2弾である本作。SFCで発売された頃もやった記憶があり、1000回遊べるというキャッチコピーのように繰り返し遊んだ。
現在は、テーブルマウンテンクリア後のダンジョンをプレイしており、今日は食神のほこら打開寸前まで行ったにもかかわらず死んでしまい、物凄く悔しい思いをした。けれども、死んだからといってもうこのゲームやーめた。とならずまたやろう。少し間を置いて。というように再チャレンジしたくなるのである。ようは、難易度設定、ゲームバランスが絶妙であり、もうちょっとでもうちょっとでいきそうなのに!寸止めなんて酷い!でもじらされるのも悪くないからまたしようね!みたいな気持ちになるのである。
おそらくこれからも暇を見つけてはちょこちょことやっていくであろうゲームの一つ。末永くよろしく。
tony hawk’s project 8
360のデモ版を昨日落としてみたのでプレイ。
凄く面白い。昨日から今日にかけてずっとやっていた。
スケボー乗りを操って、数々のトリックを決めるという内容で、難度によってポイントが変わってくる。
で、まあはっきりいってスケボーなんてやったことないので、トリックが凄いのか凄くないのかなんてことは全く分からずであるけれど、しかしなぜか面白い。
例えばトリックといっても、あのよく分からないハーフパイプを使った空中トリックだけでなく、地べたでスケボーウィリーをしたり、横にして乗っかったり、掴んでむいむいしたりと色々あるのだなあ、だけれども街中でスケボーを乗り回してる兄ちゃん達は非常に鬱陶しいなあ死んで欲しいなあ、って思えてくるのであり、まあ所詮はゲームの中であって、トリックに失敗して10m上空からトリックに失敗しての落下であっても、骨折8箇所とか表示されていても、次の瞬間にはまたもスケボーをガーガー乗り回しているのだから、爽快である。
そのような数あるトリックの中でも自分が最も楽しいのが、スライドトリックである。その辺にあるガードレールやら花壇の角やら、長さのある角をスケボーの腹でもって滑っていくトリックであるのだが、バランスさえ取れれば角の続く限り滑っていけるのである。もう角フェチになりそうなくらい面白い。世界にある離れ離れであった角と角を繋ぐ運動家になり、いつか地球一周4万キロの角を実現させたいというほどに、面白楽しいのである。だがしかし、悲しいことに日本版の発売は未定。
参考動画→http://www.xboxyde.com/partner_stream_8_3258_jp.html
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あうあうあー。と白痴の叫びを一真似したところで、さて、本日あったことをつらつらと書きますと、まず太陽の光を浴びつつ目を覚ましまして、手水にうがいそんでもって、朝飯を食らい、えいやっと気合を入れて歯医者へレッツゴー。歯科医のセンセにあれやこれやと話を聞いて、図書館でお勉強。夕方になったらなったで、腹が空くわけで、じゃあそろそろ帰ろうかって訳で帰途につくわけですが、その帰途でのことをもう少し詳しく書きますれば、なぜか同じ公務員予備校に通う女人と会話しながら帰る。という事態になっておりまして、いや、彼女からは1月ほど前に声をかけられておって、携帯番号メールアドレスの交換をしまして、友達未満他人以上といったような間柄であったわけですが、たまたま帰る方向が同じらしく、一緒に帰っていたわけです。そうしたらば、その女人は何を思ったのか、私に彼女がいるかどうか。いるとしたら何人いるのだ。という問いを投げかけるわけでありまして、自分としては、誠に不思議なことだが、1人いるのが現状である。と応えたわけでありまして、思うに、彼女はただの世間話の1つとしてそういう話題を持ち上げたと解するところであるが、だってだって普通何人いるかは聞かないでしょう?けれどいかんせん。そういう、浮ついた?なんていうの?男女間の痴情のもつれ?もつれって訳じゃあないか。ちょっと恋愛っていう言葉を想起させるような会話?というよりも、異性と話すこと自体に慣れていない自分は、彼女がいる、と応えたことでなぜか少し心が痛むのです。そして同時に、浅ましくもいやらしい感情である、残念、という思いもあるわけなのです。
いや、勿論その女人がもしかしたら自分に好意を持っているのではないか、なんてことは思ってはいますが、だけれど、それだって何も確信しているわけではなく、殆ど妄想に近いようなもので、よくあるような、もてない学生が全世界の女が自分に惚れている、というドラえもんでも実現不可能な世界を脳内で構築するようなことと類似するものであって、だって誰がこんな男に惚れますか?という現状なのだから。
その現状を少しく説明すると、生まれつきの肝臓の弱さから来る黄色人種とはいえ黄色すぎる体色、原人のように毛深い眉毛、バランスを明らかに欠いた鼻の大きさ、中高とうつ伏せで眠り続けたためか曲がった顎、175センチで55キロという貧弱な体、美容師も処置に困る額の広さ、そうしてなにより無職。そういう自分であるから、一体どこの誰が慈善事業もしくは博愛もしくは憐憫でもない限り、いや、そういった方たちでさえ、眉をひそめ見てみぬ振りをして通り過ぎていくであろう人間である自分に、どこの誰が好意を持つというのだ?勘違いも甚だしい。
だけれども、精神的未熟さと経験の少なさゆえに、自分は女性から声をかけられた、というただその1点のみをもって、舞い上がった自分は、彼女は自分に好意を持っているのだろう、さらにあろうことか、あわよくばちょっといい仲になれるかも、等といった下衆な期待をも抱いたのであります!!!なんたることか!謝罪せよ!!断罪だ!!自己批判!自己批判!三角帽をかぶって街を練り歩け!!投擲!迫害!
と、まあこういうことが本日はあったわけで、色々複雑な思いで家についた訳ですが、そうしたら母親から高校時代の同級生が結婚するといったことを知らされて、ええ!あいつが!まじで!という具合です。
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一日一日を大切に過ごしていますか?今、余命1ヶ月と宣告されても後悔はしませんか?我われの同胞になれば、素晴らしい世界が体験できます。なんっていうまるで宗教。もしくは、週刊誌の怪しい広告。はらから募集。だがしかし、今の精神状態なら、もしかしたら無職の自分でも後悔しない人生がこれから先、送れるのかも…って感じで引っかかってしまいそうである。そんな、今までになく逼迫しているメンタル具合であるが、日々の楽しみはそんな状態でもあるわけで、何かといえば、妄想である。妄想。それは人間が自己のイマジネーションを頼みに繰り広げるもう1つの現実。かのリップマンはマスコミの作り出す環境をさして、擬似環境と呼び、人間がステレオタイプに陥っていることを指摘したが、それがどうした。といいたい。そんなことを気にするくらいなら、人間の想像力を排除し、こうして今極東の島国で、真昼間から働きもせず、ただ妄想をして時間を潰している、いや、本人は時間を潰しているとは考えてはおらず、どちらかといえば生産的であるとまで思っている、こうした人間をこれ以上生み出さないために、特権階級を除いた全ての人間に対し、想像力の行使を禁止すべきではないか。そうして、ただ日々の生産活動におとなしく従事する、狂四郎2030でいうところのゲノムのような人間ばかりの世の中になれば良いなー。良いと思うよ。僕、ボースカ。
っていう妄想をして、楽しんでいるわけであるけれど、けれどけれども、どんな楽しいことにも終わりはあるもので、妄想が終末に近づいてくると、今まで脳内での意識割合が「現実:妄想=2:8」くらいだったものが、徐々に現実に引き戻されて、「現実:妄想=7:3」くらいになるのであって、もうその時点は妄想ではなく、想像である。没頭できていない。
そうすると、勃起した陰茎が射精した後は、急速に萎えるように、今までの高揚していた気分も、フリーフォールの如く落下。無職で将来の展望無しの現実を改めて突きつけられている気がしてくる。死にたくなる。死なないけれど、気分的には死にたい気分である。自殺を実際行動に移すとなると、気分プラス何かしらのきっかけがいるのだろうけれど、まあとにかく気分としては死にたいような気分であって、実際に今まで自殺を試みたことはないから、本当に死にたい気分なのかどうかは、判断しかねるが、比較的相対的に死にたい気分がいつもより若干多目みたいな感じっていうか、まあそういう感じになったような気がする。雰囲気っていうか。
あいや、何を打っているのやら。とにかく、気分は沈む。仕方なく、再度陰茎を勃起させるために扇情的な動画や画像を見たりするのだが、生憎と一旦沈んだ精神状態はなかなか昂ぶらないので、それも無理であって、いつの間にか自慰行為と妄想行為が摩り替わっているけれど、所詮クソの中を這いずり回っているうじ虫の戯言であるから、どうでもよろしいかと思います。ここまで読んだ人は時間を無駄にしましたね。書いた自分も無駄にしているけれど、元々無駄な人生なので、損害の度合いはあなたの方が上でしょう!やった!
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イエイイエイイエイ!!久々のはてなダイアリー。ってわけだけども、はてなグループに書いているように毎日毎日、あんた落ちるよ落ちちゃうよって心の声の呼びかけに対応しながら、勉強しているわけで、特にこっちに書くような出来事その他があったわけではない。
だがしかし。だからといってこっちの日記を放置しておいたままでよいのだろうか?もし、自分が明日心臓発作で逝去したとしたら、この日記は永遠公開されたままである。それははっきりいって、恥に他ならない。
よって、今日からこの日記はプライベートモードにするか、削除するかしてしまおう。と、夜中に、先ほど唐突に思った。
けれど、実際問題ここを見ている人なんてだあれもいやしないのであって、ということは恥を感じる自分の心持ひとつで、全ては逆転できるのである。あんああんあんあん。けれど、なんてこったい。今更心持なんて変えようがないじゃあないか。どうすんだ一体。ええ、こら。なんていう声も聞こえてはくるが、そこはそれ。心持ひとつくらい変えられないで、どうして就職活動における必須課題、面接を乗り越えられようか。心持のひとつやふたつ。果ては百二百と、変えられないようであれば、面接に克つことなどできようはずもないではないか。そうなのだ。これは試練と取るべきだ。過去からの試練。フハハハハ。
というわけで、勉強のはかどらなさで勢い余って日記を書いたのだけれど、明日も出来るだけ早起きをして、机に一心不乱に向かわなくてはならない。ので、この辺でお暇いたします。サバラ。
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さてとバイトも辞めたことだし、晴れて無職。ここらでいっちょでかくどーんと勉強ってなものに手をつけて、来る試験も軽く突破して、社会人になったろうかい。なってみようかしら。いや。ならねばならぬ。と思うが、いっこうに手をつける気がしない勉強。
もし、あなたが誰かに「これは一体どういう事情理由があって今の状態になったのですか?」と問われたならば、あなたはおそらく「あなたはその場にいなかったから知らないのも無理はない。だからこそ、その場にいた私に説明を求めたのでしょう?そうでしょう?よろしい。説明して差し上げる。これは、これこれこういう事情理由があって、こうなったのであり、ま、なんでそれがこれこれこういう事情になったのか、という事については残念ながら私は関知しておらず、知らないけれど、とにかく今の状態になった直接的な原因はこれこれこういう事情であるのです」という風に答え、さらに頭脳のめぐりのよろしいお方などはこれから先、予想される展開なども付け加えて、説明を欲しがっている相手方を概ね満足させることであろうが、じゃあ、自分は誰かに「どうして勉強せねばならん状況であるのに勉強していないという現状なのだ?」と聞かれても「はて。分かりませんが」としか答えられぬのである。つまり、当然相手方は満足しない、勉強せねばならんことは自分でも分かっているが、勉強する気がしない原因が分からないので自分も現状に満足できない。結果、満足できない相手方は、おめえの事を聞いているのだが、分からんとはどういうことか。要するに自分の将来に対する危機感不安定感やばいこのままだとブルーシート生活者になってしまう、そうならんためにも今一生懸命勉強して試験をパスし、しこうして世間的に立派な大人にならなくては。というガッツ。やる気。根性。そういったものが足りないからだろう?僕が君から聞きたいのはそういう答えなのだが、それをば貴様は、呑気に分かりません、とのたもうた。呆れる。こればっかりは君自身が問題点を認知して、それを改善しようとしなくてはどうにもならんのだ。ま、困るのは君自身だから僕は別に君が勉強しようがしまいがかまわないのだが、そこを敢えて親切心から、君に教えようとしているのだが、そういうことも分からないのかね。と、いうようなことを言い、あまりに尊大な物言いにむかっ腹の立った自分は、そんなこたあ百も承知よこのステテコ野郎。あんたなんかに言われなくたって自分の欠点はある程度分かっているさ。いるが動かぬこの身体。まともに生んでくれた親。育ててくれた恩もある。せめてせめて死ぬまでに。あ、ひとつご恩をかえさせてぇぇぇぇ!!と、浪曲のような調子でもって怒っているのか情けないのか判別のつかない顔をすることだろう。
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まったく毎日毎日ああもくだらない会話妄言戯言または他人に対する誹謗中傷暴言讒言がぽんぽんぽぽんと口から飛び出てくるものだ、と感心すらしてしまいそうになるバイト先のパートおばはん。かたやそのおばはんを嫌っていながらも、仕事の関係上というかただ単に人間関係を悪化させると仕事がやりにくいというだけの理由で、会話をあわせ心労を募らせるパートおばはん2。もうすぐそんな職場ともおさらばであり、それはつまり自分が、社会通念上、していない人間は駄目な怠惰な奴。何のために生きておる?社会に貢献せぬのならいっそのこと臓器バンクに登録して、そうしてから自殺なりなんなりをして命をささげ散っていけ。とでも言われてしまう仕事という苦役労働からの解放である。働くなんてちゃんちゃらおかしい。社会適合なんて糞食らえ。そう思っていた日もあった。だがしかし、自分ももう結構いい年で周りの目って奴は昔っから随分と気にする方だったし、就職するまで1回もバイトをしたことがないってのも今現代では奇異な存在かもしれんよなあ。と思いアルバイト情報誌をつぶさに閲覧し、時間帯を中心に選別を行った結果、今のアルバイトをしようと決めたのだが、それが全ての過ちだった。
なんとなれば、バイトってものは雇う側からすれば何のケアも施さずして得られる労働力であり、イージプトの偉い人が自分の巨大墳墓を建設し、死後もその偉大さ、力、素晴らしさ、崇め奉る対象である、という事を誇示し続けようとしたが、そのために多大な労働力を使役し、墳墓完成までに幾人もの労働者が苦しみ死んでいったということは周知の事実であるように、使う側は使われる側の事情など一切斟酌勘定しないのである。自分はまず、そういう基本的なことが分かっていなかった。自分大好きちゃんであったが故に、誰もが自分を大切にしてくれる。王子様のように扱ってくれると勘違いしていた。しかし現実は、誰もが自分と同じように自身が大切であり、それはつまり自分は他人にとっては路傍の石ころ並みの存在であり、誰が路傍の石がかけようが粉々になろうが気にするだろうか?誰もしないのである。目には目を歯には歯を、と唱えられている応報刑の精神にのっとり、自分も自己愛のみに生きようと決め、今まで気を使ってきたバイト先の方々のことは一切気遣わないことにした。その結果が辞職であり、日々帰宅しての呪詛の言葉をつむぐことである。なんとケツの穴の小さきことよ。だがいい。これが等身大の自分でありイッツオーライ。愛あらばイッツオーライなのだ。頑張れモー娘。